神が一つであること。アッラーとその唯一性を信じること。「神の唯一性」を信じることはイスラームの土台石をなす。これを信じることが宗教的信仰を決定し、社会的模範を作り出し、道徳的規範に生命を吹き込む。
イスラームの信仰告白(宣言)の前半は「ラーイラーハ・イッラッラー」「アッラーの他に神はない」であってこの宣言はムスリム(イスラーム教徒)の人生においてその宗教的事柄だけでなく、どのように社会に生きるかということに対してもまた指針を与える。
「神はない」という宣言は宇宙には「かれ」よりも偉大で優れたものは何もないことを示す。
クルアーンの中には次のように述べられている。
هُوَ الَّذي خَلَقَ لَكُم ما فِي الأَرضِ جَميعًا...
سوره مبارکه البقرة آیه ۲۹
「かれ」こそは汝たちのために大地の中にあるすべてのものを創造された方である。。。(クルアーン2:29)
それゆえムスリムたちはこの世界において礼拝されるべきものは何もないことを知っている。
石も木も、動物も人間も、太陽も付きも星も礼拝されることはない、なぜならばすべてのものは創造されたのであって、人間の利益のために作られたことを知っているからである。このようにして人間がすべての虚偽を捨て、自然を礼拝すること、偶像を礼拝すること、あるいは人間を礼拝することを拒否する時、「神の唯一性」の積極的面を知る用意が出来る。最高の存在を信じることはわれわれの人生に目的を与え、われわれの行動に合目的性を与える。「神は存在しない」という誤れる観念のままでおるならば、その生活には目的がないのであって、目的のない人生は危険である。
そこで「“アッラーのほかに”神はない」ならばどうであろうか?この言葉には積極的面と同じように消極的面がある。両方とも「すべての人が平等である」という信仰を生み出す助けとなる。より優れたものが誰もいないならば、より劣ったものも存在しないわけである。隠して「神の唯一性」を信じることはイスラームのもう1つの特性である「人間がすべて兄弟であること」「平等であること」「公平」の観念を助長する。